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沖縄県石垣市 かわみつ農園(マンゴー農家)

沖縄県石垣市 かわみつ農園

川 満 起 史(かわみつ たつし)

昭和62年(1987年)沖縄県の石垣島中央にある嵩田(タケダ)地区の農家の息子として生まれる。名蔵幼・小・中学校を卒業し八重山高校へ進学。高校時代に将来は嵩田で生活したいと思い、実家の農業を継ぐことを決意し東京農業大学へと進学。片倉チッカリン(現片倉コープアグリ、東証一部上場)で社会人経験を経て26歳で帰島し親元のかわみつ農園で就農を開始。趣味はバドミントン。名蔵小中学生と八重山高校バドミントン部の指導を行う。育ててくれた地域に恩返しがしたい、今の子ども達にも地域を好きになってほしい。との思いから「事業を通して地域貢献・社会貢献を行う」をミッションとしています。

趣味:バドミントン
好きな言葉:「現状維持は緩やかな衰退」
かわみつ農園:https://www.kawamitsu.ne.jp/
Youtube:https://youtu.be/nQdNJo-W2Zo

嵩田の歴史とかわみつ農園の歴史Farm Issues

自由移民として宮古島から石垣島へ入植した祖父から続く専業農家です。かわみつ農園のある嵩田(たけだ)地区は、1935年(昭和10年)に台湾の人々が新天地を求めて移住してきたところから歴史が始まります。土地は勾配が大きく岩だらけのひどい土地であったため、手付かずの土地が多くありました。そこで台湾の人々は当時石垣島にいなかった水牛を台湾から移入し土地を開拓し、八重山の農業に革命的といえる技術革新をもたらします。しかし間も無く第二次世界大戦が勃発し、多くの入植者は台湾へ引き上げることになりました。終戦後まもなく祖父が宮古島から家族を連れ石垣島に移り住みサトウキビ栽培を開始します。その後 農園を引き継いだ父が枇杷などの果樹栽培に着手しました。1983年(昭和58年)に台湾からマンゴーの苗を導入し、国内でもいち早くマンゴー栽培を開始。マンゴー栽培歴は約40年になります。栽培開始当時は国内におけるマンゴーの栽培技術が確立されていなかったため、当初は手探りでの栽培でした。現在のマンゴー栽培では常識となっているビニールハウス栽培や、樹木の低木仕立て、マンゴーの実に袋をかけ樹上完熟落下での収穫方法は、かわみつ農園を含む嵩田地区のマンゴー農家が確立し全国へ広がりました

農園の課題Farm Issues

農園の課題は3つあります。

1つ目は廃棄マンゴーの活用。2つ目は生産量増加、3つ目は新規顧客開拓です。「ポトリ果マンゴー」は完熟で収穫しているため一般流通に乗せることができません。そのため、現在の販売は全てリピートしてくださるお客様への産地直送での販売です。しかし、市場への出荷を行えないことから産地直送以外での販売先は不安定で、豊作の年などは作物の良し悪しに関わらず廃棄処分せざるを得ないこともあります。
ある年は、島内全域が豊作で、加工用としての販売数も少なく、売り先を持っていたマンゴーが傷み、最終的には父と一緒に2tあまりのマンゴーを廃棄したことがありました。地面に掘った穴にマンゴーを投げ入れましたが、1年かけて愛情を込めて育てたマンゴーを、食べたら絶対に美味しいはずのマンゴーを自分の手で投げ捨てる悔しさは今でも忘れません。その時の父の表情も忘れられません。二度とこんな仕事はしたくないと強く思いました。廃棄率を下げることは、愛情をかけて育てた我が子をしっかりと嫁に出してやることです。

一つも残らずお客様へ届ける指名を感じました。廃棄マンゴーを0にすることが農園の一つ目の課題となっています。廃棄マンゴーの問題を解決できないことが二つ目の生産量増加を行えない要因になっています。現状の販売体系のままでは余剰生産分の販売先が不安定なため、無闇に栽培面積を増やすことは経営を圧迫する要因になりかねません。

また、ポトリ果マンゴーは既存のお客様の贈答品としての利用が販売の大部分を占めています。一人のお客様での十件以上の贈答利用の購入も多くあります。しかし昨今の贈答文化の衰退により新規のお客様はギフトの割合は低くなっています。新規のお客様は贈答用としての購入は1〜2件がほとんどです。そのため今まで以上に認知を広げることが必要となっています。これまで廃棄していたマンゴーを有効利用し、かつそれが新規顧客獲得につながる取り組みをNFTで実現できると期待しています。

地域の課題Regional Issue

嵩田地区は農業が中心的な産業です。農家の担い手も比較的いますが、地域の人口は減少しています。また、近隣の学校も児童生徒数の少なさから統廃合が懸念されています。私が嵩田に帰って来たいと思ったのは地域の方々が仕事に誇りを持ち、夢を語る姿を見ていたからです。

また、移住してきた嵩田の先輩も、ゆんたく会の地域の先輩方がいきいきと嵩田の将来を語っていたことに感動して嵩田に住みたいと思ったそうです。しかし現在はその勢いは翳りを見せているのが正直なところです。地域周辺でのゴミ焼却炉の建設や、近年では自衛隊基地配備が行われ、また日々の仕事に忙殺され「嵩田グリーンツーリズム構想」は未だ実現していません。そして、地域の未来を語るときは、「夢」ではなく「憂い」や「憤り」の声が多くなってしまっています。私たち子育て世代が、もう一度、嵩田の将来に「夢」を語れるように、嵩田に新しい風を吹き込みたいと思っています。

「起史が何か面白いことやってるね」と嵩田の方達がその取り組みを楽しんでくれて、嵩田のみんなが楽しんでいる様子を域外の人たちが注目し、参画してくれるような、域内と域外が心地よく交流するような取り組みを行いたいと思っています。その取り組みを通して地域の方達が個々の農業経営の強化を図り、地域の魅力を創出し、地域や家庭内で「夢」を語る大人の姿を子どもたちに見せてあげることで、帰ってきたいと思える地域、住んでみたいと思える地域を次世代へ繋いでいきたいと考えています。

これから取り組みたいことlist of things I want to do

現状の課題から、「ポトリ果マンゴー」の産地直送での販売の新規顧客開拓と、これまで廃棄していたマンゴーの新しい活用を模索しています。具体的にはセミドライや冷凍などのカットマンゴーの商品開発、農園に併設したカフェでの提供です。かわみつ農園での取り組みが、嵩田地域全体の経営力強化に繋がるような活動をしていきたいと考えています。そこで嵩田地域の内外の仲間と進めていきたい構想があります。石垣島を横断する県道211号線に「石垣フルーツストリート」と銘打ち、石垣島全体がフルーツの産地であることを島内外にアピールし、石垣島の農業を盛り上げていきたいと考えています。「石垣フルーツストリート」の真ん中には嵩田が位置しています。嵩田に人流を生み、「嵩田グリーンツーリズム構想」の実現に繋げていきたいと考えています。景色の良いベンチで石垣島産のフルーツを堪能したり、ゆんたく会のレシピをデスティネーションレストランで味わえたり、マンゴーやパインの収穫体験などアグリツーリズムを通して、嵩田の農家と消費者が近い距離でつながって”食の循環”を実現していきたいです。

お客様の声voice

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